昨日、主日礼拝に行きました。
私の教会は礼拝をライブ配信していて、オンライン会員も多く、先月は正規の教会員とオンライン会員との親睦会(教会のお祭り)が開催されました。
そしてそこで初めてお目にかかった東北のAさん。
長らく東北の教会員だったそうですが、コロナ禍をきっかけに、この教会のオンライン会員→転入会を経て正会員(正会員っていうのかな?)になった方です。
そのAさんがZOOMを通じて献金のお祈りをしてくださいました。
その言葉の中に「為政者のために祈ります。彼らが過ちに気づき、神様が正しい方向へ導いてくださいますように」という表現がありました。
わたしはそのお祈りを聞いて、びっくりしてしまい、来会者クラスでO先生に
「お祈りは弱い立場にある人、病気や戦争で苦しむ人に対してするものだとおもっていたので、Aさんのお祈りの中の言葉に驚いてしまいました。」
「あの言葉はAさんの本心とは思えないのですが…」と尋ねました。
そうしたら、O牧師は
「普通はそう考えるよね。イエスは弱い立場の人のもとを尋ねて祈って回った。だから聖書に忠実になれば、苦しんでいる人のために祈るというのは当たり前。
でもルカ福音書の中でイエスが十字架の上で“父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、分からないのです”と、自分を処刑しようとしている権力者に対して祈ったことからすればまた、為政者のために祈るというのも聖書に忠実ともいえるんだよ」
とおっしゃいました。
O牧師はその際にパウル=ティリッヒという神学者の著書・・・どの書籍かは分からないけれど、多分『生きる勇気』という本から引用したお話をしてくださいました。
詳しく知りたいと思ったので、さっそく近所のTSUTAYAに取り寄せをお願いしました。
難しそうな本だけど、神学的というより、社会学的な観点からも面白そうだったので、読んだらまた感想を書きたいと思います。
そしてこの日はカンパカレーの日でもありました。
何のカンパかというと、教会の幼少科・中高生の子どもたちの平和学習の旅に向けて。
前日から子どもたちが準備していたそうです。
沖縄で悲しい事故が起こり、運営者や学校に誹謗中傷や脅迫まがいの行為が行われているようですが、事故とはまた別物として平和学習は続けていくべきだと思います。
事故に遭われたお二人に、哀悼の意を表します。

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